
中学校の英語の先生を目指す大学生の話です。
今時、彼は6人兄弟の末っ子。生まれる時は瀕死の状態。
家族はそれぞれの立場で彼が生まれることに葛藤がありました。
それでも、すくすくと育った彼は中学生の頃には
学校の先生になりたいという夢を持ち、
塾もほとんど行かずに志望の大学に合格。
夢を持ち、育てた彼は
大学生になると語学の勉強のために留学をしたいと思います。
ところが、彼には年老いた介護の必要なおばあちゃんがいました。
もちろん大家族なので、彼が全ての介護をしていたわけでありません。
でも、足が悪く段差を越えることは出来ないおばあちゃんの
階段の移動、車への移乗は、彼が背負って
補助することがしばしばでした。
海外留学を考えたとき、「おばあちゃんの移動ができなくなる」と思い、
留学は心に秘めたままだったそうです。
そのおばあちゃんが急逝し、
この春、彼は「やっぱり、勉強しよう」と思い立ち、
語学留学に旅立っていきました。
彼が立派だという話ではありません。
こんな彼も、思春期まっただ中の時には、
そのおばあちゃんに、徐々に色々なことが出来なくなっている
おばあちゃんに、苛立ち、随分と反抗し、人にいえないことを
おばあちゃんに対して言ったり、行ったりしたそうです。
また、家族は、彼が生まれるときに、旅立つ彼の姿は
決して想像しなかったと思います。
人の成長は外からは量れないものだとつくづく思います。
今、目の前で起こることに苛立ち、不安を覚え、
子どもを叱ることが多いのですが、
本質を考える。これが出来るようになればな~。
永遠の課題かもしれませんが、
本質というものを考えてみようと思います。