
先週の週末、シャボン玉フォーラムというフォーラムに参加しました。
日常的に私達が使う、様々な洗浄剤のことを見つめ、そのことを入り口に、
水のこと、環境のことを考え行動していこうというフォーラムです。
そのフォーラムの中で、私の心に一番印象に残ったお話。
それは、石けんのお話でも、環境のお話でもなくて、鮭のお話でした。
鮭は生まれた川から海にでて、また再び生まれた
川に戻り産卵します。
産卵後、親鮭はその場で死んでしまいます。
自然の仕組みは素晴らしく、親鮭はやがてプランクトンをはじめ様々なものの
栄養となり、川が豊かになる。
すると、次の春生まれてくる稚魚の栄養にもなり、
子どもは豊かな川で育ち、海へ、そして、やがて産卵のため川へ戻ってくる。
この豊かな川は森も育てるというのです。
このお話も素敵なのですが、ここからです。
このお話をされた大学の先生は、昔から、親の鮭が
川で累々と死んでいるの見ると
かわいそうだと思っていた。
でも、この話を聞いたとき自然の素晴らしさと自分の生の実感
自然には無駄なものは一切ないというメッセージ、生かされている実感
自然への畏怖等を覚えたというのです。
そして、実体験がとても大切と思うと結んでおられました。
そう、知識での、鮭の産卵や川の仕組みはよく目にします。
で、頭で素晴らしいと思うのです。
でも、鮭が累々と傷だらけの身体を横たえて死んでいる姿。
この姿を目の前にして自然は素晴らしいとすぐには感じないのではないか。
でも、春になり、豊かな川を見てその恵を受けて、
自然への畏怖と感謝が芽生える。
命の循環は話で聞くと、とても素晴らしく思えますが、
実際目にすると悲しかったり、厳しかったり。様々です。
実体験が全てではないけれど、実体験も大切です。
私達のワークショップも知識だけのものではなく、
一緒に考え、一緒に悩めるものであり続けたいと思います。