2009年8月28日金曜日

しつけ



しつけって、躾と書く。身に美しいこと。

息子が怪我をして病院に通っている。

下校後で疲れている。
松葉杖生活で疲れている。
理由はあるだろう。
だが、待合の時間に眠っていた息子は
診察の間かなり不機嫌。
挨拶はもちろんせず、医師の顔も見ない。
辛うじて症状だけばぶっきらぼうに答える。

あまりにの態度に
医師も看護師も私の顔をみる。
もちろん、とっくに私は頭にきている。
(自分の怪我でしょう。小学校4年生でしょう。)
不機嫌の理由を問われても返事もしない息子。
沈黙のあと仕方なく「寝起きで不機嫌ですみません」と私。

さ~こんなときも深呼吸。
不機嫌な態度。でも困るのは誰だろう。
息子には支障がないのである。
怪我は消えず、症状は答えている。
医師も息子には怒らないし診察は中止にならない。
私は、「どんな躾をしているのか。わがままを許す親なのか」
と自分が見られるのを気にしている。
いつもはかんかんと怒るのだが、あほらしいから居直ることにした。
まったく情けない息子と自分。でも仕方がないかと。

後で態度が悪いと伝えると「だって眠いし何が悪い」・・・・・・・・・。
まったく親の顔が見たいものだ。と鏡をみてため息。

彼は自分が困ればきっと考えるに違いない。
次の受診日は支障があっても
一人で入ってもらおう。
どうしても医師に聞きたいことはメモしてわたしてもらおう。

怒っても、注意しても私が期待する効果があったことは
彼の場合なかったのだから。

子育てをしないと想像もしなかったことである。
躾とはこうも大変なことだとは。
おそらく自分も見本となるような
身に美しいこともしていないのだろうけど。